狂騒旋律

LuNa RhyThm非公式★宣伝ブログ『ロボの公園』

アートの世界にも分からん奴らはいるものです(少し大人の話なので若人はスルー可)

やぁ。ロボだよ。午後のお知らせ☆だよ。

素晴らしいことがあったんだよ。

反映成功

Windows10のほうにペンタブを接続してみたら、見事に映像反映されました!

だけど、ペンの位置を決める手順を怠ったら、タッチパネルもつかわないと操作できない状態に…。

そして、「10」のほうにはIllustratorしか入ってないから、ペン一発描きしかできなくて、頑張って描いてみたけど、散々な結果になりました。

ピカソが喜びそうな絵。

あかんわー。

でも、ペンタブのほうに映像が反映できたのはすごい大発見だったので、貯金が残ってたらクリスタを買おう。

いきなり美的絵画が書けるとは思ってないけど、せめてピカソよりレンブラントくらいにほめられたい。

群像を描く気力のある画家じゃないけどね、ロボもLuNa RhyThmさんも。

究極ミュシャに褒められたら良いんじゃね?

目指す方向性としてはミュシャ系だよね。

原点回帰

思い返してみると下らないんだけど、ロボは学生時代はぼっちだったんですよ。

基本一人。そして、音楽系のサークルに所属していました。

最初のうちはみんな均等なんですけど、段々派閥とか出てくると、ぼっちの人を罵ったり、嫉妬したり、気味悪がったりするようになります。

これは、「クリエイター系学生あるある」なんですけど、自分とは何か異質な才を持った人を、短く言うと妬むわけです。

自分の中に発生したその妬みを、自分で「気味が悪い」と思い、対象(この場合ロボですね)に反映して、「こいつが気味悪いからあたしたち居心地悪い」みたいな…自分の心を対象物のものだとにすり替えていると言う、ややこしい状態になります。

具体例をあげてみると

美術史の講義の時ですけど、題材として提示された絵が、アダムとイブが楽園から追放される絵で、2人とも真っ裸で描かれていると言う絵だったんですね。

それをロボが普通に見てたら、どうやら絵画美術関係には疎いらしいの学生女子2名が、後ろの席で、

「よく普通に見てられるね」

「でかいなーとか思ってんじゃない?(クスクス)」

とか言ってて、なんのことだか分からなかったんですけど、なんかムカついたので、ロボは丁度講義が終わるときに、立ち上がりざま、振り返ってガンくれておいたんですね。

聞いてるとは思わなかったようで、その2人は下を向いて委縮してました。

後からよーく考えてみたんですけど、20歳前後の、大人ぶりたい女子達が関心のあることで、西洋絵画に疎い人が物珍しがると言うと…男性のナニか、と。

でかいなーと思ってたのはお前らだろって話ですよ。

下らない話ですけど、これが、「心理のすり替え現象」です。

西洋美術の常識

西洋絵画の世界なんて、女性のバストと男性のナニは普通に「写実」の一環として描かれています。

西洋の近代美術の基本が、ルネッサンスに由来するのですから、つまり中世を欠落して、ローマ時代までぶっ飛ぶわけですよ。

ローマでは、裸の男性が外で運動しているのは当たり前だったし、男女混浴の浴室なんていっぱいあったし、裸身の彫像や絵画なんて山ほど「芸術」として街中にあったんですから(現代まである場所もある)、子供の頃から普通にそう言う「人体美」を目にしていると、何にも気にならなくなるんですよ。

ロボはローマ時代の人ではないですが、母親が子供の頃から度々美術館などに連れて行ってくれていたので、「アート的な表現」と言うものに慣れていたわけです。

裸身が描かれていようと無心に絵画を眺めて、講義に耳を傾けられるくらい。

ロボの後ろの席でクスクス笑ってた女子2名は、たぶん美術系の人ではないですね。

絵画とエロ本の区別がついてないレベルなんですよ? 美術に携わるべきじゃないです。

ロボsの通っていた学校は、色んな学科がある中で、美術的な事も総括として学ばせようと言う大学だったので、西洋美術に疎い…今で言う、パリピのノリの人が美術史の授業を受けるとかもあったんです。

確か、美術史は必須科目だったんじゃなかったかな。

それでパリピのノリの奴等が混ざっていたのか。

だとしても

ロボsは、他の人が妖艶な表現を使うのは下品でない限り普通に観たり聴いたりできますけど、自分達でそう言う表現を使おうとは思わないですね。

そう言う表現を美的に使える人は、脳内の許容値に「エロス」を表現する能力に恵まれていると言うことなので、悪いことではないんです。

でも、ロボsにはその「エロス」が存在しないので、つまりは「アートの世界と接点を持つ点で、慣れてはいるが理解しがたい」と言う状態なんですね。

だから、hydeさんが「XXX」を歌うのを、「クールで妖艶な曲」として聞くことはできても、自分で歌おうとは思わないし。

ミュシャが裸婦を描いても、自分等で好んで裸身を描こうとは思わないし。

ルネッサンス以降の美術についてはまたの機会に詳しく語ります。

では☆。