狂騒旋律

ロボからの素敵な脅迫状

イマジン ユアセルフ ライフ

暇人がイマジン。寒い。ロボ、禁断の3rd(1日に3件目の記事)に突入。

電気代は死守できるのか?!

話を始めましょう

「イメージしてごらん?」の和訳で有名な、元ビートルズの人…有名な人なのに名前が出てこない。

名前思い出してる間に電気は消費されるので、話はサクサク進めます。

こう言うことは、ロボが文章でお伝えするより、うちの作家さんに作詩の素にしてもらったほうが伝わるんじゃないかと思うのですが、

うちの作家さんが仕事の出来る緊張状態でもないので、ロボが代筆いたします。

死にたくなるくらい生きたかった

のではないかと思うんですよ。

「自分の人生」をです。

他人に支配された人生と言うのは、「自分の人生」ではなく、「支配する者の人生の一部として生きる」と言うことです。

少し回りくどい言い方ですが、「自分の人生」の中心から、「自分」が居なくなり、「他の誰か」が取って代わってしまった人生と言うことです。

子供の場合

子供の頃は、大体の場合、親に支配されています。

でも、子供はその中でも自由を見出して、「親の言うことを聞かない」こともあります。

それが「個」を持った普通の子供です。

高圧的な親の場合、「子供を徹底的に服従させないと気が済まない」場合があります。

子供に「人生」や「個」を与えず、「自分の思い通りに動く機械」のように扱おうとします。

反発されると「力の暴力」や「言葉の暴力」で、子供が「個」を持つことを諦めるように促します。

これは、未成熟な親に多く、「大人になりきれていないニンゲン」が、突然「子供」と言うものをもつと、子供を「小さなニンゲン」ではなく、「服従させるべきペット」と見なすわけです。

「親」が自覚はしていなくても、子供を「親の機嫌が良いようにふるまう様に躾る」わけです。

こうして「個」をはく奪された子供は、心理的に追い詰められます。

「自己の意思決定」が出来なくなり、「個」を持たないニンゲンになります。

もちろん、大人の社会では「自己決定」を出来ない人は生き延びれません。

学校に通っているうちは、整ったレールの上を走っているようなものですから、自己決定は「どんな学校に入るか」くらいで十分なのですが、それにも「親」は口を出してきます。

より就職率が安定していて、将来高収入が得られて、学費がかからない学校(大学)に進学させようと、やっきになる親もいます。

女性の場合

昔は、「個」を持たないことが日本女性の美徳だと思われていた時代がありますが、人の見ていないところではしっかり自己主張(井戸端会議など)をしているのが、女性の強さでもありました。

もののけ姫」のアシタカが言うように、「良い村は女が元気だと言います」と言うのは、本当なんです。

古風な考え方ですが、女性は、ある一定の年齢になると、「結婚」と「子育て」のレールを敷かれます。

遥か昔は、結婚相手まで親が決めることもあったくらい、女性に「個と言う決定権」はありませんでした。

公の場では「個」を抑え、「親の意志」の次は「結婚相手(旦那)の意志」に従うように、躾けられていたのです。

ですが、女しかいない場所では、しっかり旦那の悪口なんて言いあって、ストレス発散しているのが「日本女性の在り方」だったんです。

ですが、周りに味方がおらず、徹底的に「主人への服従」を求められる人々も居ました。

そう言う場合は、現代で言えば様々な病名がありますが、一種の精神疾患を病むこともあったでしょう。

少し特別な例ですが

皇室で言うと、民間の家庭から「公の人」となった雅子様がご病気になられたように、24時間、一時も気の休まる時が無く、もしくは長い間子宝に恵まれなかったこともあり、唯一理解してくれる夫(皇太子様)も、「公の人」としてしか味方が出来ない、と言う不条理を、乗り越えていらっしゃいました。

愛子様も、テレビ等では笑顔で振るまえない立場が続いていました。

その心の内はご本人にしか分かりませんが、ロボの推し量るところでは、「自分が男の子だったら」と考えたことも、一度はあるでしょう。

近年になり、皇太子様ご一家の笑顔の写真などを公開して下さっているのが、何よりです。

まとめると

「自分の人生を生きられない」と言う苦しみは、確かに「死への願望」を生みますが、それは「他人の人生を生きていることを終わらせたい」のである、と考えてみて下さい。

ロボは、生まれてからの11年間を、両親の「支配」と「自己の心」の間で板挟みになっていました。

11年目に、父親が病死しました。

その後、母親の支配がはじまるのですが、父親の死はロボにとっては「不条理からの脱出」を思わせました。

「ようやく大きな赤ん坊から解放された」と思ったのです。

涙は出ませんでした。

その後、母親の子供への執着に悩まされることになるのですが、話がそれてしまうのと、そろそろ二千文字なので省略します。

では、グッナイ☆

 

 

人生って「生きてみないと」わからないものなのです

こんにちは。うちの作家さんが仕事をしないので(イベントへの緊張感でそれどころじゃないらしい)、暇なロボです。

ちょっと哲学してみよう

議題(一人で考えるんだけど)は、「スーサイド」。和訳「成功しちゃった★」です。

はい。真面目に和訳しましょう。「自殺」です。

「自らを殺傷すること」です。

「自ら命を絶つ」機能は、ニンゲンにだけ存在すると言います。

一番簡単な悩みの解決方法だと言われています。

ニンゲンはとにかく死にたくなる生き物で、腹が減っても死にたくなるし、眠たくても死にたくなるし、つまんなくても死にたくなるそうです。

でも、これは「消極的な死に方」。つまり「生きるの面倒くさいから死にたい」って言うパターンです。

「積極的な死に方」という物があると仮定すると、「自分が死ぬことで、世の中や個人に影響を及ぼせる」と思ってしまうパターンです。

積極的に死んじゃった★場合

例えば、電車に投身自殺したとしましょう。

人身事故として扱われ、一時的にダイヤが乱れます。警察の人達が、「またか」と言う顔で動き始めます。

死体を回収する係の人達が、肉片を拾い集めてレールを綺麗にします。

警察の人は身元を調べます。

遺族に連絡が行きます。自殺なので葬式は上げられません。密葬と言う形で処分され、墓に入ります。

終了、です。

例えば、ビルから飛び降りたとします。

ビルの高さによりますけど、大体の場合は着地の時、体を強打したショックで死んでします。

「飛び降りは落っこちている時点で死んでいる」と言う人もいますが、あれは落下の恐怖で気を失っているだけです。

着地の時強打した骨が砕け、皮膚が裂けたりしている遺体を、警察の人が搬送します。

血の跡などが残ったら洗い流されます。

身元を調べます。

遺族に連絡が行き、以下同文です。

「死」そのもの

以前も書いたかもしれないけど、人の死って、その人が「生前どれだけの生き様を残したのか」、友人はいたのか、身内との仲は、その人が死ぬことで衝撃を受ける人は居るのか、と言う「生きていた在り方」が影響するんですよ。

「死」そのものは、生命体の生存の停止ですから、死体を処理して墓に収めて終了です。

繰り返しますが、「死」によって他人に影響を与えるには、「生きている間」に、何が遺せたかによるんですね。

生半可に自殺に成功しても、社会と言うコミュニティの中での「存在」がどうだったかによって、その「死」は軽い物か重い物かに分けられます。

軽い場合、生きている連中に自殺の理由を色々想像されて茶飲み話のネタになって終了です。

でも、「何も残すことができない」「自分は世間の不要者だ」などと考えて(実際そうだった場合も)いる人が、一番周りにインパクトを与えて死ぬとなると、「一番迷惑をかけて死ぬ方法」とも言えますが、死体が周りを汚すような方法で死んでしまう場合ですかね。

だから、「人身事故」が絶えないんでしょう。

何より、警察の人達が苦労します。

電車の利用者も迷惑します。

轢いちゃった運転手さんもびっくりでしょう。

「自殺を口にしたがる」人

そう言う人は、インパクトを残したんですよ。「待て! 早まるな!」って言ってほしいんです。

じゃなきゃ、誰にも言わずにさっさと死んだほうが、段取りはスムーズでしょ?

これは他殺の話ですけど、秋葉の歩行者天国連続殺傷事件の場合は、ネットに犯行声明を書き込んで「社会に影響を与えた」と、「自分を奮い立たせて」犯行に及んでるわけです。

臆病者ほど無茶に走る。

だから、警官に腕一本押さえ込まれただけで、抵抗もせずに「御用」になってるわけです。

命の尊厳

自殺を考えている人に、「死ぬな」って言うのも、逆効果です。

「他人に自分の『死』で影響を与えられる」と満足してしまったら、実際「自殺」に及ぶんですから。

だから、口癖みたいに「死にたい」って言う人に、ケアマネージャーとかの人が、「じゃ、死ねば?」って言うのは、「お前が死んだくらいで世の中は変わらないんだよ」って言うことを提示しているわけです。

実際それで死んじゃっても、他者と言う生物が活動を停止しただけなんです。

自分の命すら守れない奴は、生きたいのに生きれなかった人達、生きたいと頑張っている人達に、失礼です。

世界が見えてないんですよね。自分の事しか見えてない。だから「自分を殺傷する」事に満足感を得ようとするわけです。

生きることが苦しいなら、生き方を変えることです。足掻いて見せるくらいじゃなきゃ、生きては行けないのです。

足掻いて足掻いて、それでも駄目だったら逃げ出して、力が戻ってきた時に、また「人生」を始めれば良いのです。

せっかく頭脳という物を与えられて、言葉を操るほど成長したんだから、「インパクトのある終わり方」を考えるより、「自分の人生を生きる方法」を考えてみるほうが良いのではないかと思います。

自分の人生生きてますか?

ではまた☆